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ポケモンアルセウス攻略:ふるいポエムの場所と内容考察【ネタバレあり】

Pokémon LEGENDS アルセウスの攻略情報をお届けします。この記事では、ゲーム内の各所に散らばっている「ふるいポエム」の場所と、その内容を考察してまとめてみました。ポケモンアルセウス、そしてダイヤモンド/パールの舞台となっているシンオウ地方の成り立ちや歴史についても書かれています。

さまざまな考察をコメントいただきありがとうございます。どれも一読の価値がある考察ですので、コメント欄もぜひご覧ください!

 

ふるいポエムの場所まとめ

ポエムの探し方

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ふるいポエムは特定の場所でガチグマライドの宝掘りをすることで入手できます。ふるいポエムは全部で20個あります。

黒曜の原野

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紅蓮の湿地

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群青の海岸

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天冠の山麓

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純白の凍土

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ふるいポエムの内容と考察

ポエムを書いたのは誰?

ふるいポエムを書いたのは、コギトの一族の祖先だと考えられます。ポエム12で「わたしはここで悠久の時を過ごす 使命を持ったものが現れるまで」と語られているため、時空の迷い人(=主人公)を導く使命を持ったコギトの一族が書いたことは明白です。

ストーリーでコギトが「わが一族の使命」という言い方をしていた通り、代々使命を受け継いでいることがわかります。コギトの一族の寿命の長さや、コギト自身も時を渡れるようなことが示唆されている(ポエム12の考察を参照)ことから、コギト自身が書いたとも考えられます。しかしポエムでは宇宙誕生のような創世記にまで記述が及んでいること、「あかいくさり」イベントのときに伝承以上のことは知らないと言い切っていた(過去の歴史をすべて見届けてきたわけではない)ことを考えると、寿命は長そうですが決して不死というわけではないでしょう。となるとコギトよりもっともっと前の祖先が書いたものと考えるのが自然です。

著者はコギト自身であると考えることもできます。詳しくはコメント欄をご覧ください。

ふるいポエム1

ふたりのものがいた
ひとりは流れる時をみた
ひとりは広がる世界をみた
そして世界の果てを求め
それぞれの道を往くことにした
シンオウさまと共に

『ふたりのもの』はヒスイ地方に誕生した古代シンオウ人の始祖を指すと考えられます。旧約聖書に記されているアダムとイヴのように、ヒスイ地方における人類の始祖です。

『流れる時』『広がる世界』というキーワードからディアルガとパルキアを想像することもできますが『それぞれの道を往く』というのが時間・空間を司るポケモンらしくありません。時間・空間を司るポケモンであれば、『往く』というよりは「ただそこに在る」でしょうし、世界の果てを求める必要もないでしょう。

そして世界の果てを求めて旅立った『ふたりのもの』の子孫が、ふるいポエム5で語られるようにヒスイ地方に戻ってきます。流れる時(ディアルガ)をみた人の子孫がコンゴウ団の創設者となり、広がる世界(パルキア)をみた人の子孫がシンジュ団の創設者なのではないでしょうか。それぞれがみたディアルガ/パルキアをシンオウさまという同じ名で信仰してしまったために、争いのきっかけとなってしまったのです。

『シンオウさまと共に』とありますが、物理的に一緒にいたわけではなく、「シンオウさまへの信仰心を胸に」と解釈して良いと思います。もちろんゲーム内でアルセウスの分身を託されたのと同様『ふたりのもの』に分身を託した可能性もありますが、そうであれば『ふたりのもの』がそれぞれ別のディアルガ/パルキアを、同じシンオウさまいう名で信仰してしまったことの説明がつきません。

また、コメント欄で「まつ」さんより以下の考察が寄せられました。非常に納得感もある面白い考察だと思ったので紹介させていただきます。

私はポエム1の「ふたりのもの」はアルセウスの分身だと思います。ディアルガ、パルキアのオリジンフォルムがアルセウスと似ていることや、ギラティナ含めた三匹がアルセウスの分身であることがシンオウ神話で明記されていることから、こう考えるのが自然かと。「世界の果て」まで旅する途中、分身たちはそれぞれの目的に適した形に変化したのではないでしょうか。 どちらの個体も「シンオウさま」の呼称を用いたため、コンゴウ団の先祖は後にディアルガになった個体と出会い、シンジュ団の先祖は後にパルキアになる個体と出会った。それ故、ディアルガ、パルキアどちらも「シンオウさま」と呼ばれることになったのだと思います。

ふるいポエム2

地の果てにいるものよ
そなたの気持ちはわからなくもない
わたしが懸想する人は
遠い場所に去ってしまった
わたしが共に過ごした人々は
遠い昔に消えてしまった
もう一度会えるならと
かなわぬ思いを抱え続ける
地の果てにいるものよ
そなたの気持ちはわからなくもない
だが永遠の冬を生きるのだ

『地の果てにいるもの』とは、暴れ者であったために追いやられてしまったギラティナのことを指すと考えられます。そしてポエムの著者が、ギラティナに対して共感する気持ちを綴っています。

カミナギ寺院跡でのウォロとの会話で、ギラティナはディアルガ/パルキアと同格でありながら追放され、アルセウスに牙をむこうとした存在であることが語られます。さらにポケモン図鑑を見ると、アルセウスがヒスイ地方を照らす強い光、その光により生まれた深い影がギラティナであると書かれています。アルセウスとギラティナは対であり、相反する存在なのです。

懸想けそうする』とは異性に対する好意を意味します。ポエムの著者(コギト一族の祖先)が好意を寄せた相手は、昔々10のポケモンを従えてアルセウスに力を示した古代の英雄ではないでしょうか。そしてその英雄も古代シンオウ人も遠い昔に消えてしまったため、寿命の長さゆえにひとり取り残されてしまった孤独な境遇がギラティナも同様であろうと同情しているのではないでしょうか。

ふるいポエム3

爪も牙も持たぬ
人はあまりにも弱く
ポケモンに勝てなかった
ある日いかづちはポケモンをうった
その数は10となった
いかづちにうたれたポケモンたちは
弱き人の力となった
いかづちはシンオウさまの
やさしき思いであろうか
愛する日々を胸に秘めて

古代の英雄が従えていたという10のポケモンが、時空の裂け目からの雷に打たれた結果 人に力を貸すようになったという経緯が書かれています。ストーリーで主人公が荒ぶるキング・クイーンを鎮めたように、古代の英雄もいかづちに打たれた10のポケモンを鎮めたのではないでしょうか。そしてそれはシンオウさま(アルセウス)が人類に手を差し伸べているのではないかという考察がなされ、それゆえ人類はシンオウさまを敬い崇めるようになったものと考えられます。

ふるいポエム4

古代の英雄に付き従った
10のポケモン
子々孫々 その役目を受け継ぐ
ポケモンの労に報いるために
人 戦場に器を用意し
採れたての好物
きれいな水をそなえ
おおいに感謝したという

古代の英雄に従っていた10のポケモンは、その子孫たちも人々を手助けする使命を帯びていること、そして人々は感謝を捧げるという伝統が現在まで続いているということがわかります。

ゲーム内では10のポケモンのキング/クイーンとして崇められ、各マップに存在する「戦場」にてキャプテンたちが好物や水をあげるなど世話をしている様子が描かれていました。

ふるいポエム5

昔も昔 カミナギという町があった
いつしか人は消え 町の名も消えた
時がたち シンオウさまをあがめ
海を渡ってくるものがいた
それぞれ異なった
シンオウさまをあがめていた
いさかいが起きた
争いも起こった
おのれの正当性を示すため
どちらもカミナギの民を称した
町の名はよみがえった
だがあのときの心はよみがえらない

古代の英雄たちが過ごしていたカミナギの時代が終わり、現代の話に転換します。現在のコトブキムラは海を渡ってきた移民によりできたムラであり、シンオウさまを崇めているということから、現在ヒスイ地方にいる人々は世界の果てを求めて旅立った古代シンオウ人の子孫と考えられます。

ディアルガ(時間)をシンオウさまとして崇めるコンゴウ団、パルキア(空間)をシンオウさまとして崇めるシンジュ団の、無意味な争いを嘆いています。

ふるいポエム6

その ポケモンが うまれて
ちしきが ひろがり
わたしたちは ゆたかに なった
かんじょうが めばえ
わたしたちは よろこび かなしんだ
その ポケモンが うまれて
わたしたちは なにかを けついし
こうどう するように なった……

アルセウスにより生み出された知識を司る神ユクシー、感情を司る神エムリット、意思を司る神アグノムによる、人類への影響を記しています。人類に知性を与え、精神面での成長をもたらしたようです。

ふるいポエム7

純白の凍土にある湖
叡智があふれる湖
湖にあらわれるポケモンに
問題解決の知恵を授かろうと
願いを訴えるもの多し
されどもその話が伝わらないのは
湖のポケモンの問いに答えられず
記憶を消されてしまうため
純白の凍土にある湖
叡智が沈む湖

純白の凍土にあるエイチ湖の由来が、優れた知性を意味する「叡智えいち」であることがわかります。ちしきポケモン・ユクシーの図鑑に書かれている『悪しき者の 記憶を 奪い去る』と同じことが書かれています。ストーリーでウォロが主人公を手助けしていたのは、自分で「あかいくさり」を作ろうとすれば何が起きるのかを、神話から学んでいたからかもしれません。

ふるいポエム8

ヒスイに散らばるプレート
さまざまな力を宿したプレート
未来永劫 残るものとして
永遠の 祈り 言葉を刻む 
いつまでも どこまでも
秘めた思い 広まるように

宇宙が誕生したときのかけらと言われているプレートについて語られています。アルセウスの祈りが刻まれているようです。

ふるいポエム9

ポケモンのほねを
かわにながす
わたしのおもいでも
かわにながす
やがてうみへとながれ
せかいをめぐるのだろうか
これまでに
いくつのほねをながしたことか
これからも
いくつのほねをながすだろうか
ながすたびに
わたしのこころもきえてゆく

コギトの一族が使命を果たすために「時空の迷い人」を待つ間の、孤独に押しつぶされそうな気持ちが綴られています。ポケモンを食べたあとのホネをきれいにして丁寧に水に還すとポケモンが再び肉体をつけて戻ってくる、というシンオウ昔話につながっています。

ふるいポエム10

英雄と呼ばれるものがいた
10のポケモンを従え
深奥に挑んだ
それは人の強さを示す
戦いであった
深奥は人の強さを認め
どこでもない世界に戻られた

シンオウさまの由来は『深奥しんおうであることがわかります。英雄がシンオウさまに挑み、強さを示し、そして認められたことが語られています。シンオウさま(アルセウス)は『どこでもない世界』(=はるか向こうの時空)へ戻ったことが伝承として語り継がれ、シンオウさまは時空の裂け目の向こうの世界にいるとヒスイ地方に伝わっているのです。

ふるいポエム11

天に思いを届けよう
人々はそう語りあい
天の山のてっぺんに石を積む
人 ポケモンとともに石を運ぶ
人 集めた石を掘り
ポケモンの姿を刻む
刻まれた10のポケモン
シンオウさまの光を浴びたもの

テンガン山にあるシンオウ神殿の成り立ちが語られています。ストーリーでシンオウ神殿が崩壊してしまいますが、そこに残った遺跡が「槍の柱」としてダイパに登場しています。

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シンオウ神殿の崩壊前では、シンオウさまの光を浴びて古代の英雄に付き従った10のポケモンの石像が確認できます。10のポケモンとは、アヤシシ、バサギリ、ガチグマ、ドレディア、イダイトウ、ウインディ、マルマイン、オオニューラ、ウォーグル、クレベースです。

ふるいポエム12

ひんやりとおごそかで
なにかしらの力に満ちている
ヒスイの大地は
たしかにシントに似ている
古代シンオウ人の生まれた地
わたしはここで悠久の時を過ごす
使命を持ったものが現れるまで

時間空間の均衡が崩れるのを防ぐ使命を持つ「時空の迷い人」を導くという、コギトの一族の決意が書かれています。コギトがいるのも「古の隠れ里」であり、古代人の血筋であることを伺わせます。

『悠久の時を過ごす』ということからコギトの一族は寿命が長いのは間違いないでしょうが、それとともに時空を越えられる力もあるのではないでしょうか。古の隠れ里にはティーセットがありますが、ティーセットすらヒスイ時代にはなさそうな上に年代物です。ゲーム内の時代の先で誕生したティーセットを、さらにその先の時代で年代物と化した状態で、ゲーム内の時代に持ってきたと考えられます。

ふるいポエム13

ケムリイモを採る
ケムリイモの皮をむく
ケムリイモに火を通す
焼くなり煮るなり好きにしろ
火の通ったケムリイモをつぶす
つぶしたものを練ってこねる
あとは焦げ目がつくまで焼け
ポケモンの技でいうなら
ひのこでよい
かえんほうしゃはやりすぎ
イモモチを好きに食う
一日が過ぎる

イモモチの材料がケムリイモであることが判明します。コギトがいる「古の隠れ里」にはちゃんと鍋も焚き火もあり、煮るなり焼くなりしてイモモチの調理が可能なことが伺えます。ムベが得意としているイモモチの調理も、もとはコギトの一族が伝えたのかもしれませんね。

ふるいポエム14

アヤシシの背に乗り
原野を駆け巡る
走る友もいる
駆けるポケモンもいる
風が抜ける場所に立ち
あの日々を思い出す
駆け抜けた記憶
場所があの日の思い出をつなぐ
時と場所はまじりあい
わたしの心をつつみこむ

筆者が思い出に浸っている様子が書かれています。

ふるいポエム15

じかんとは とまらないもの
かこと みらい そして いま……
くうかんとは すべての ひろがり
そして こころも くうかん……

「空間」とは物理的な場所に限らず、精神的な「心」も空間として解釈できることが書かれています。心を司るユクシー、エムリット、アグノムたちと、空間を司るパルキアの関係性を示唆しているのでしょうか。

ふるいポエム16

天の山
シンオウさまに近い場所
シンオウさまの力
天の山に集い 石となる
石 力を放ち
あたりの磁界をひねる

『石となる』という表現から、オリジン鉱石の誕生について書かれていると考えられます。

石がプレートであると考えると、プレートすべてを揃えてテンガン山で『磁界をひね』ることでアルセウスがいる時空へとつながるとも考えられますが、すべてのポエムの著者が同一人物であるという前提があるのでポエム8で『プレート』という単語を出しているのにここでは『石』とわざわざ表現を変える理由が見当たりません。

ふるいポエム17

畑の神がいる
春の神がいる
ヒスイの空を飛びまわり
命を芽吹かせる
春の神に問うた
いつもはどこにおるのかと
解はなかったが
寒いのはきらいだとわかった

海を越えて現れるラブトロスは、冬の終わりと春の訪れを告げるポケモンです。サブ任務94「ヒスイの化身たち」でコギトがラブトロスを呼んで主人公に紹介した通り、コギトの一族は代々ラブトロスをはじめとするヒスイの化身たちと交流があるようです。

ちなみにヒスイの化身たちは中国神話における四神がモチーフです。れいじゅうフォルムで確認できる通り、ボルトロス=龍(青龍)、トルネロス=鳥(朱雀)、ランドロス=虎(白虎)、ラブトロス=亀(玄武)がモチーフであることが伺えます。

ふるいポエム18

あらゆるものを友とせよ
??を怒らせてはいけない
??を悲しませてはいけない
裂けた大地は戻らない
あらゆるものを友とせよ

『怒らせてはいけない』『悲しませてはいけない』ということからかんじょうポケモン・エムリットが連想されます。ユクシー、エムリット、アグノムは、それぞれ悪い人や傷つけようとする人に対して報復することが示唆されています。

また、マルマイン撃破後にセキが以下の内容を語ります。

悲しんではいけない
怒ってはならない
シンオウさまが悲しむ 時が止まる

 ― コンゴウ団に伝わるシンオウさまの教え

ポエムでは「怒らせる/悲しませる」という他者への感情変化、コンゴウ団に伝わるシンオウさまの教えでは「怒る/悲しむ」という自身の感情変化について語られているなど、完全に同じではありません。しかしポエムの内容が伝承されるうちに内容が徐々に変化し、それがシンオウさまの教えとして認識されるようになってしまった可能性は大いにあります。

情報提供のコメントありがとうございました!

ふるいポエム19

昔 この地ができたとき
ポケモンと人は
お互いに物を送り送られ
支えあっていた
そこで あるポケモンは
いつも人を助けてやるため
ほかのポケモンに
人の前に現れるよう話した
それから 人が草むらに入ると
ポケモンが飛びだすようになった

カミナギの時代の話と考えられます。『あるポケモン』が何かは不明ですが、ほかのポケモンへの影響力を考えると伝説ポケモンや幻ポケモンのような上位の存在であるか、またはキング/クイーンのように各地のリーダー的ポケモンである可能性が高いと考えられます。

ふるいポエム20

それは太陽であった
太陽はお隠れになり
みなは嘆き悲しんだ
多くのものが太陽を追い求め
この地を去った
この地に暮らすのは
ポケモンだけとなった

『お隠れになり』と敬語が使われているため、『太陽』は悠久の時を生きるコギトの一族ですら尊敬するような偉大な人物と考えられます。明確に語られているわけではありませんが、『太陽』のように唯一の存在といえば「古代の英雄」なのではないでしょうか。

「死んだ」という表現こそされていませんが、「隠れた」というのは古代の英雄が「死んだ」ことを意味するのではないかと思います。「隠れた」という表現からは、英雄がいずれまた姿を現すことが感じられます。古代の英雄のような力のある者が新たな人物として転生するまでの一時的な別れであることを、コギトの一族は知っていたのかもしれません。

ゲーム内では主人公が「まるで古代の英雄のようだ」と表現されることがありました。つまり主人公こそ古代の英雄の生まれ変わりであり、『太陽』であるのかもしれません。

また、コメント欄で「ピピ」さんより以下の考察が寄せられました。非常に納得感もある面白い考察だと思ったので紹介させていただきます。

ポエムに出てくる英雄も、現代から来たという前提で話します。

(中略)

英雄は10匹のポケモンを従え、アルセウスに挑む。結果彼は勝利し、アルセウスに認められた。アルセウスがどこでもない世界に戻ると同時に、英雄も現代へと帰らせてもらう。 突然消えた英雄に人々は戸惑い悲しみ、彼を探しにヒスイ地方を去る。

(中略)

英雄は亡くなったのではなく『消えた』のでは? 英雄が忽然と姿を消したから人々は歎き悲しみ、彼を探しに行った。コギトは一人ヒスイ地方に残ったため、20にはコギト視点で『この地に暮らすのはポケモンだけとなった』と書かれているのだと思う。 

確かに古代の英雄が死んだという確証があれば『追い求め この地を去』るのは不自然だと思いました。英雄がどこか(おそらくは古代の英雄が本来いた時空)へ忽然と姿を消したからこそ、追い求めたのであろうと思います。

 

まとめ

ポケモンアルセウスの舞台となっているシンオウ地方について深く知る手がかりとなるポエムについて、独自に考察してみました。中には根拠に乏しく想像で書いた部分も多くありますが、みなさんの解釈はいかがでしたでしょうか?

ポエムの考察について「ここはこう解釈できる」「書いたのはこの人じゃないか」などご意見がありましたら、ぜひコメント欄で語り合いましょう!